おおさか事始め

ごあんないで書かせてもろたものを、ちょいと加筆訂正してまとめました。ゆっくりおつきあいを。


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天王寺界隈から


いくたま
生國玉と書いて「いくたま」。正確にいうと生國玉神社、通称「生國玉さん」(どうも昔から大阪人は人以外の物にも愛情からか敬意をはろてか、さんづけの癖があったみたいでお寺さんとか戎さん(えべっさん)とかいうんやけど、これも微妙に変化があって四天王寺のことは天王寺(てんのじ)はんという)住所は天王寺区生玉。最寄りの駅は地下鉄谷町線・千日前線の「谷町九町目」ですわ。で、その生國玉さんやけど、もともとは今の大阪城の辺り(石山崎いうらしいわ)にあったのが石山合戦の時焼失してしもて、それを豊臣秀吉が大阪城を築くときに今の場所に移したんやて。なんや生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)を祀ったのが始まりとする延喜式名神大社とかたいそうな神社らしゅうて、本殿は生國魂造というめずらしい様式やとか。もっともいまは鉄筋コンクリート造りやそうけどな。で、神社の北側から南にくだる坂道があるんやけど、その昔、生國玉さんの神宮寺やった法案寺をはじめとする生玉十坊ちゅうお寺さんが神社周辺にあって(明治の廃仏毀釈でなくなったみたい)、そのうち北側に医王院・観音院・ 桜本院・新蔵院・遍照院・曼陀羅院の六つの真言宗のお寺さんがあったよってにその坂を真言坂というようになった、とか。けど、なかなか風情がおまっせ。で、坂道といえば、この辺りの上町大地から東西にかけて坂道がいくつかあって、ちょいとした散歩にもええんやけど、ま、そのへんの事はまたの機会ちゅうこって。


あいぜんさん
漢字で書くと『愛染さん』。で、正確には勝鬘院 愛染堂(しょうまんいん、あいぜんどう)というお寺さんですわ。で、通称『愛染さん』なんやけど、これまたけっこう歴史がおま。593年に聖徳太子が建立した四天王寺で、敬田院、施薬院、療病院、非田院の四ケ院のうちの一つ、施薬院で勝鬘経を講じたことから勝鬘院というようになった。で、本尊の愛染明王を奉ってあるので愛染堂ちゅうことらしい。それで施薬院はいわゆる薬草を栽培し病気の人に分け与えたことから社会福祉発祥の地。という、なかなかたいしたもんですわ。毎年6月30日から7月2日までここで行われる愛染祭が大阪の夏祭りのはじまりで、浪速3大夏祭りの一つ、日本中で最初に浴衣を着る祭りで浴衣祭ともいうそうな。で、境内に桂の木があって、その昔その木の生い立ち、立ち姿にちなんで命名された『愛染かつら』ちゅう映画がはやったんやけど、知ってる人はおるかいなぁ。場所は地下鉄の谷町線「四天王寺前夕陽丘」駅から愛染坂を下ったところにおま。ほんで、この愛染坂を含めて上町大地から西へ下る坂道が七つ程あって天王寺七坂とかいわれてるんやけど、その内の口縄坂と源聖寺坂は石畳の階段でけっこう風情があるよって散策して廻るのもええんちゃうやろか。


おおさか
逢坂と書いて「おおさか」ですねん。天王寺区の松屋町筋の終点で、東へ上がって四天王寺西門に至る坂道ですわ。逢坂は、逢坂の関になぞらえてよんだものとも、聖徳太子と物部守屋の二人が信じる方法を比べ合わせたと言われた「合法四会」(がっぽうがつじ)に近いことにより合坂(おうさか)と名付けられたなどの諸説があるそうやけどようわかりまへん。その坂道のちょっと南へいくと茶臼山(茶臼山古墳)があって、その先は天王寺公園と天王寺動物園がおま。公園のとなりには市立美術館や慶沢園ちゅう日本庭園もあってたっぷり半日は楽しめまっせ。もちろん動物園の西どなりは彼の新世界、通天閣もすぐそこでわ。


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